1月29日

 日曜、休日。掃除、洗濯、図書館へ本の返却。

 今週あったような"今年一番の寒さ"と呼ばれる日は、日本海にほど近い実家で暮らしていた頃は大雪になることが多かったな。太平洋側での生活も長くなり、ここでは"今年一番の寒さ"は、晴れていることが多い。どちらの地域にいても、そういう日の朝の空気は清々しいなと思う。

 今週はほとんど音楽を聴かなかった。金曜の深夜に、Contours "Balafon Sketches"のレコードを聴いた。

1月27日

 週末、金曜日。寒波の一週間だった。先週から、寒くなるぞとまるでイベントごとのように繰り返し報道されていて、なんか必要以上に寒がらされている気がしてきていた。ワタクシは天邪鬼ですので、先月からやめていた自転車通勤をここで敢えて行うことにした。上半身はいつものジャケット、ウィンドブレーカーの内側にダウンを着脱できる仕組みで、長いこと寒い季節に重宝している。だいぶぼろくなってきた。問題は下半身で、普段着や職場の作業服のズボンでは風がすいすい通ってしまうので、そのままだと寒すぎてただでさえ行きたくないのに職場に着く前にUターンして帰りたくなりかねない。そこで去年悪天候の野球観戦のためにと買った、撥水と風除けの機能のあるズボンを上から履いてみた。結果的に、これがあると無いとでは大違いで、ほとんど冷気を感じずに移動することができた。あと5℃くらい低くても大丈夫だと思う。去年、久しぶりに実家の雪かきを手伝った時、寒がるおれに父が無理やり貸してくれたお世辞にもかっこいいとは言えない防風ズボンの効果に驚いて、雪の降らない関東でも応用できる場面を探していたが、それがぴたりと嵌った感じだ。ただしノーガードの耳は千切れそうに痛かった。

1月16日

 中古の機材を購入して運ぶため、土曜日の未明に家を出発した。一泊して日曜の夜に帰宅。奈良への道程は走行距離は往復で1100kmを超えた。念のため休みを取った今日は、家に機材を運び入れた。

 重さがものを言う堅牢な類の機材なので、車に積んだり車から家に移したりしたくても、ほんの数mの距離なのに、これが一人でできない。人に甘えすぎてはいけないとは思えど、助けてもらえるありがたみの方が何倍も大きい。

 

 会話の間を持たせようとしすぎて、場にいない人の過去の発言まで引用する癖がついてしまった。毎回良くない方向に展開するのでやめるようにしたい。

 

 頭も身体もとにかく疲れているので早く寝たい。なのにまた夜更かしをしてしまう。

1月2日

 今朝は早く起きられなかった。何もない時ほど夜更かしをしてしまう。若い頃からの悪癖はいつか治るのか。

 相変わらず天気だけは良い。布団を干した流れで、コーヒーを作って陽当たりの良いところで永井宏"雲ができるまで"を読んでみた。やり方としては何も間違っていないと思うけれど、自分の状態が悪く何となく言葉が頭に入ってこない。

 あちこちの店でコーヒー豆を買っているので、いろいろな種類のストックがあり、家に居ながら気分で選ぶことができる。今日は馴染みのジャズ喫茶の豆でコーヒーを作った。コーヒーの味は豆の種類や焼き方、抽出の仕方によってかなり幅広くて自由な分、難しいところがある。深煎り派の人たちが、世間で流行り気味の浅煎りを批判しているところに出くわしたことがあるが、あれはほとんど被害妄想のような気がした。おれは浅煎りも深煎りもそれぞれおいしいなと思う。

 年末のラジオ番組を聴き逃し配信で聴きながら今日も部屋の片付け。どう片付けるのかを予めイメージできないから、少しずつ考えながらやっていて、時間ばかりやたらとかかる。遅いおれに構うことなく、世間ではもうUターンラッシュだという。結局とりあえずで買ったきり読んでない本やらは、段ボール箱に詰めてしまった。敗北感がじわり。

 今日は音楽をかけなかったが、ラジオから流れてきたNeil Youngの新作が良かった。

1月1日

 今日から年が変わった。テレビもラジオもつけないし、誰とも会わないから特別なことは何も無い。安心するような気持ちともったいないような気持ちが混ざったまま時間が流れていった。年末に刃物で指に大きめの傷を負ったせいで、水仕事をする気が起きない。

 Mがいないうちに部屋を片付けようとしているが、増えすぎた物を手放さない限り、大した成果は望めない。せめて1年以上触れることの無かった本やCDなどはどこかに仕舞おうとして棚を眺めると、これが本当に自分の趣味なのか疑わしいタイトルがかなりある。それらから透けて見えるのは、自分の思い入れではなく他の誰かの顔や名前だ。誰かが好きなものをとりあえず自分も手に入れて、何か良い気になったのだろうか。おれは寂しいやつだ。

 チラシなどの印刷物が大量に出てくる。捨てても捨てても受け取る羽目になる。どれも載っている情報にはほとんど興味が湧かないが、しっかりした紙にきれいに印刷されていてそこには感心する。結局は処分する以外の選択肢はない。しかし誰かがせっかく作ったピカピカの完成品をおれの手でごみにするのが忍びなく、無意味に取っておいてしまう。忍びなさが積みあがって、いつしかこれをおれに受け取らせた連中に怒りがこみ上げてくる。ポストに強い表現で「チラシおことわり」と掲げている家をたまに見るが、こういう気分が原動力なのかもしれない。

 掃除機をかけながら、転職活動をしていた時のことを思い出していた。面接の後、担当のエージェントを通じて、おれに対する先方の評価を聞くことが何度かあったが、よく言われたのが「なんとなく元気が無いように見える」ということだった。もちろん自分は普通にしているつもりだが、初めてそれを言われた時、そうかと思って次から元気に見えるよう努めてみた。しかし相手の反応は大抵同じだった。"元気の無さ"については、未だによく言われる。なぜなんだろう。いつからそうなんだろう。なぜ他の人たちは"元気"なんだろう。

 Paul Bley "Open, to love"、Bob Dylan "Blood on The Trucks"、Bastro "Antlers:Live1991"、V.A "Studio One Ska"などを聴いた。

12月31日

 年末年始の天気が晴れているかそうでないかは、おれの場合どこにいるかに影響される。実家に帰っていれば曇りや雪だし、関東に残っていれば大抵晴れている。故郷からは遠い乾燥した空の下で、朝から洗濯物を干した。すぐに出かけて映画館でスラムダンクを観た。映画館で観てよかった。自然と主人公の家族の心情を慮りながら見ていたが、最近は10代以下のキャラが中心の物語を鑑賞する時、自分の視点がその親であったり指導者であったりに寄りがちになっている。

 さっさと帰って昼ご飯にどん兵衛の鴨だしそばを食べた。

 その後は、やろうとしていたことや、やらなければならなかったことが頭を掠めては消えてを繰り返し、苦しい気分で過ごす。そのうち眠っていた。コーヒーを作って飲んだら気分が悪くなった。今日はもう考えるのはやめにして早く寝よう。

12月30日

 今年の勤務は昨日で終わった。帰省するMを駅に送り、今日からひとりの時間となった。

 今週は、出向先の外国から一時帰国してきた伊藤君と会った。なんとなくでメールしたらちょうど東京にいるとのことで、会うことになった。前から約束してたわけでもなくたまたま気が向いてそうなっただけ。毎度のことだ。セオリー通りにカレー屋に行って、適当に歩きながら話をした。寒いし座りたくなったから喫茶店にでも入ろうとしかけたが、年末の昼下がりなんてどこもいっぱいだし、そもそもおれたちがそんなところに行ってもなんとなく白けるだけなのは分かり切っている。伊藤君が迷わずここと選んだバーガーキングのやたら広くて少し暑い店内で、コーヒーを飲んだ。それ以上、何かあったようななかったような。いつもの通りだった。

 ひとりになったことだし、今日はガラクタで狭まった部屋を片付けようと思ったけれど、そういう状態は物を処分しないと解決しない。金も無いし、売れる物はどこかに売りに行こうかとも思ったが、おれが隙間を空けたらすかさずMが物を増やすだけだし、二束三文で束の間の空間を作ってどうなるものか。そうして結局右から左へ移動しただけで、大して片付かないのは、これもまたいつも通りの展開である。

 キャンセルした新幹線の切符を払い戻しに、駅の窓口へ行った。係の女性が四苦八苦しながら手続きをしてくれるのを数十分待った。窓口は一つしかなく、おれの後ろには焦れた列ができていた。変な買い方をしたつもりはなかったが、周囲に少し申し訳ない気持ちになった。

 サッカー選手のペレが亡くなったそうだ。サッカーをしたことはないが、髪質が似ているのと誕生日が同じであることで、中学生のほんの一時期、おれはペレと呼ばれていたことがあった。ペレ自身も、ペレという愛称で呼ばれることはよく思っていなかった時期があるらしい。ご冥福を祈ります。