日記 6/22

 週末に聴いたラジオ番組のこと。何回か前にパーソナリティの方が一連の差別問題について言及していたようで、今回リスナーからそれについて疑問視する意見が、少し強めの表現で届けられていた。それを読んだパーソナリティは、考える時間をもらうとだけコメントし、リクエスト曲を紹介した。

 おれがそれを聴いたところでは、パーソナリティの少し強すぎた表現に対して、リスナーさらに誇大な受け取り方をしているような雰囲気を感じた。正確なところは何も分からないが。パーソナリティの対応は冷静で真摯だったと思う。

 公共性の高い手段で不特定多数に言葉を発する時、意味を理解し合うことが難しくなっている、というような話はあちこちで耳にする。それはやはりSNS登場の影響が大きそうで、もはや解決できなさそうにも思える。でも、伝える側が理解してもらえる伝え方をする難しさは、昔からそれほど変わっていないのではなかろうか。最近は受け手が安易にすべて理解した気分になりやすくなっている傾向があるような気がする。

 人の話をよく聞こうと思う。対話は受け手と話し手が交替しながら進む。