日記 9/16

 京都の老舗喫茶店の経緯が記された”喫茶の一族"という本を読んだ。実際におれも旅の途中に訪れたことがあり、感じた独特の空気の背景を少し知ることができた。

 喫茶店。ビジネス的合理的な観点からするとバランスを欠いた場所のように見える。それとは少し違うかもしれないが客が昔なじみの店を語るエピソードとして、あの店ではコーヒー1杯で何時間も粘ったものさ、という話がよくある。この本にもそういうくだりが出てくる。本当に気に入った店を大事にするのなら、追加注文をするとか、ほどほどの時間で退出するとかした方がいいのは間違いない。実際にそういう客たちが原因のひとつとなって、潰れた店も少なくはないのだろう。

 しかしそうでない例も稀にあるのかもしれないと最近思う。単純な損得勘定で割り切れない関係性が築かれている場合もあり、それはそういう店を守り続けている人だけが味わえる楽しみなのではなかろうか。そういう雰囲気が、この本からも垣間見られた。ただ、本などで取り上げられるような特別な例が、自分にも当てはまるという安易な勘違いはしない方がよい。

 店を続けていくことを、利益を出し続けることだけに単純に割り切らない(かと言ってボランティアでもない)店がある(ような気がする)。喫茶店のある意味でのバランスの悪さは、そういうところとも関係が深そうな気がするし、得てしてそういう店にこそつい寄りたくなるのもまた不思議なもんで。