差し控える

 先日、プロテニス選手が義務視されているメジャー大会の試合後の会見を拒否したという出来事があった。選手が会見に出席しない意向を示したことに始まり、実際に欠席したことを受けて、主催側は選手の主張を受け入れない意向を示し罰金を科した。続いて選手は、会見等が原因で精神的な不調が引き起こされていることを公表し、勝ち残っていた大会を棄権した。主催側は、罰金を取り消したとは聞いていないが、ある程度の理解を示し当初より姿勢も軟化したような見解を示していた。

 おれから見た限りでは、選手の判断は聡いものだったと思うし、主催側の反応は早かった。前述の一連の流れは、ほんの数日の間のことだ。互いが主張の要旨を明確に持ち、優先すべきものを理解した上でのやり取りに見えた。一方で、ついさっき見たニュース番組では、今日もわが国の政治家が訳知り顔で「コメントを差し控え」ていて、なんだかなと思う。

 翻って自分はどうだろう。自分の中で優先しているものや考え方があったとて、問われた場面で短い時間で伝えることがなかなかできない、あるいはしようともしないことが多い。表現が乏しいこともあり、どうせ理解されない、意図せずつまらない対立構造になって批判されたらめんどくさい、馬鹿にされたり妙なキャラ付けされたりするのが嫌だな、と思って黙りがちだ。そういう時は、結局おれもどこかで見たような訳知り顔をしているのかもしれない。