五輪所感②

 子どもの頃は、人並みには五輪競技を見て楽しんでいたが、徐々に関心は薄くなり、その流れとは別にして今大会はもうとても見る気分になれない。開催側の事柄と競技や選手を分けて考えることなんてもうおれにはできないし、関連するどこからも違和感ばかり覚えてしまう。

 大会前、関係者は世界中が夢や希望に包まれると言う。競技で勝った選手は、これで夢や希望を与えることができましたと言う。どうしても何かおかしい。それについて今回ほど長く考えた大会はない。例えばおれは自由を何よりも大切にしたいもののひとつとして捉えているが、それをなぜか一方的に奪われた挙句、引き換えに差し出されたものが(差し出されているのか?)、夢や希望、あるいは等価の何かであるとはどうしても認識できない。