AEC

 以前よりペースは遅くなった気がするけれど、未だに聴いたことのない音楽を探している自分がいる。それが特別好きだという自覚はない。しかしふとした時に気が付くとそうしているのだから、他人から中毒とか病気とか言われて、そんなことないと思いつつも、いつも否定できずに苦笑いしてばかりいる。

 日々移ろいがちな自分の興味の中心には、近頃ずっとArt Ensemble of Chicagoがいる。その演奏や思想、佇まいが、方位磁針のようにおれの向く先を伝えてくれるような、微かだが確かな感覚がある。

 こないだ、中古レコードと一緒に、彼らが特集されている1974年のjazz誌を買った。知らないことがたくさん記されている一方、牧杏子氏による熱のこもった巻頭文をはじめ、おれが彼らの音から感じていたものを裏付けるような文章がいくつも載っていて、ああやっぱそうだよな、と素直に嬉しくなった。

 レコードレビューには「11月にAECがやってくる。とにかくステージをみないと真の良さがわからないと言われている集団だ。」とある。やっぱそう言われていたんだな。底知れない感。過去に立ち会った別のミュージシャンのライブでも、強い興味を自覚していても、果たして自分に理解できるのだろうかなんて不安に思いながら出かけて、期待を軽々と上回る楽しさだったという経験があった。おれがAECが来日した当時に生きていたら、きっと彼らもそういう体験をもたらしてくれたはずだ。いくつか残されているライブアルバムを聴きながら、いつもそんな想像を止めることができないでいたから、そういう文章を見つけては、嬉しさと同時に当時のメンバーが既に存命でないことがやりきれない。

 多感な時期を過ぎても、未だに魂に触れるようなミュージシャンに出会うことがある。最近はそのこと自体が、なんだかありがたいなという気持ちになる。この先も気負わず自然に、そういうものに気付ける状態でいられたらいいと思う。