ゆく月くる月

 昨夜からトンガの噴火についての報が続いている。最近は人の起こすことだろうと自然に起こることだろうと、ついていけない気持ちになることが多い。ぼんやりと津波情報を眺めていると、太平洋の近くに住む旧友からメッセージが届いた。どうやら今度の災害で色々と良くない影響が出そうだという。大企業に勤めている彼が影響が出るというのなら、しわ寄せが中小企業のおれにも押し寄せてくるのだろう。そんな風に皮肉っぽく返すと、影響を受けない人なんていないという返事が来る。きっとその通りなんだろうが、随分な言い方だと思う。自分の方は棚に上げる。

 近年、モノが行き渡らずに、手に入らなかったり値段が高騰したりという報道は頻繁に目にする。原因は様々だが結論が似通ってくるのは、思い過ごしかあるいは考えなしか。よく調べると、反対に値下がりしているモノもあるにはあるが、先行きは暗い気分になる。値段が崩れすぎて、売った分だけ損をしてしまうから廃棄される食材もあるなんて話を聞くと、世の中の仕組みが間違っているとしか思えなくなる。先日、最近できた安売りスーパーに行ってみた。たしかに周辺の相場よりも安い値段で売られているものが多かったが、会計は現金のみ、ポイント類なし、という仕組みの方が印象的だった。レジの後ろにATMまであった。煩わしさがなく、シンプルな買い物ができる気がした。なんとなく、子どもの頃に初めて行ったおつかいのことを思い出していた。

 落ち着いた買い物がしたい。だがそれは何だろう。当然ながら、売られていなければ、買うことはできない。おれは「買えなくなるかもしれない」という切迫感を買い物の判断基準にあまり入れたくない。入る方がより自然だろうと思わないでもないが、「先延ばしにしたら買えなくなるかもしれん」と、とりあえず買ってしまったものたちから、みんなに恨まれているのではという妄想が襲ってくる。そういうことを繰り返し、最近は"買ったもの"と"買わなかったもの"の間に、"先延ばして買い逃したもの"という落としどころをあえて作り、それはそれで悪くない決着ということにしてしまっているようなところがある。自分なりの知恵だと思いたい。勝手なことを言うと、自分の気を惹くものが見つかり、かつ妙な切迫感を感じさせず、小一時間で全体を見られるくらいの店がよい。とここまで書くと、それはレコード屋の話になる。年が明けてから、中古レコードの買い物は調子が良い。買ったレコードは全部聴いている。

 昨日は洗車をして体の芯まで冷えたが、今日は暖かかった。家の周りに吹き溜まった枯葉を掃除した。もうずっと、今が何月かという実感を失くしたまま暮らしている。