インターネットの知識

 新聞を読んでいると、コラムのような記事に、どこかの先生が生徒に、「死ぬ」ことの表現をできるだけたくさん集めてくるという宿題を出したと書いてあった。ただし、それだけだと皆ネットで検索してコピペしておしまいだから、回答数の少なかった表現には高得点をつけることにしたという。労せず手に入る答えを並べてからが勝負というわけだ。シンプルだがおれのような性格にはちょっとやる気になりそうなルールだ。どうやって調べようか。例えば短編小説を丸ごと回答としても有効なのかな。

 

 好きな漫画家のホームページに、彼が気に入っていると思われるホームページへのリンク集があった。何気なくポチポチと開いてみると、特定の種類の建物や飲料などについてのデータベース的な個人サイトがほとんどだった。先週は仕事が忙しくなかったので、空いた時間はそれらの閲覧にコッソリ熱中していた。

 どれもこれも、膨大な情報量をアーカイブしたもので、その情報の収集と整理には、相当の個人の時間と資金が惜しげもなく投じられたであろうこと、その活動を通じて独自の情報網を得ていたことが、すぐに読み取れる。無料で閲覧できることが信じられないとすら思えるものもある。インターネット黎明期に多感な時期を過ごした世代としては、それらの個人サイトの持つ野性的とも言える空気感に、懐かしい興奮を覚えた。

 しかし、よく見るとそれらのホームページは2010年前後を境に、更新が止まっているか急激にペースダウンしていることに気が付いた。既にリンクが切れてしまっているサイトも多い。そういえば、最近は調べたいことがあって検索すると、ウィキペディアアフィリエイトのレビューサイトばかりが引っかかって、ごく一般的な内容や商品の宣伝しか出てこない。おれもそれが当たり前で、それ以上を知りたいとも思わないようになっていた。かつては、例えば音楽関係だと、存在すら知らなかった音源の紹介記事や行けない地域、時代のライブの感想記事などに比較的簡単に辿り着くことができたし、それによって得られた情報は、今検索したりSNSを見たりして得られるものよりもずっと内容があって面白かった。

 時代が移り変わったと言えばそれまでだ。しかしそういうことをもったいなく感じている人もきっと少なからずいるだろうし、おれも身をもって寂しさを感じた。周りの大きな流れに流されて、知りたいと思う気持ちを気軽に手の届く範囲にいつの間にか収めてしまわないよう、気を付けたいと思う。納得させなければいけないのは、他ならぬ自分だけなのだ。