店日記

客編

 先週、何となく久しぶりに以前住んでいた隣町の駅前の鶏料理店で昼食を食べようと出かけた。道中次第に道路が込みだして、その日は市民マラソンが行われていることに思い当たる。知っていたら来なかったなあと思いながら、渋滞を避けてなんとか車を停めた。以前は図書館に出向いたついでによく昼食を食べたその店も、入口の前に屋台を出して料理や飲み物を振舞っている。店内も満席だが、タイミングよく着席できた。いつもは二人くらいしか店員がいないのに、この日は屋台も含めると七、八人が忙しく動いていて、中には知り合いか親戚らしき人も手伝っていた。混んでいるし入店をやめるか悩んだけれど、見慣れた店の見慣れぬフルパワー営業を見ることができて少し楽しかった。以前に比べて大幅に値上げがされていた。鶏料理は、今は仕方がない。帰りがけ急な強雨が降った。出店は濡れなかっただろうか。おれの外干しした洗濯物は無事だった。

 

店番編

 馴染みの店の番をやった。11時から18時。回を重ねるごとに勝手が分かってきた部分もあるし、どうしたらいいんだろうと分からないこともある。おれは店番であるからして、自動販売機の中に人が入っているようなものだと思うことにして、代金を受け取り商品とお釣りを渡して決まった挨拶をする。とりあえずそれだけは完遂しなければならない。本を読んだり音楽を聴いたりする自由はあれどジッとしているとけっこう疲れるから、途中で知った顔が現れると嬉しくなってつい話し過ぎてしまう。

 今日、売れた本のひとつに"富士日記"があった。会計する時、中巻のみであることに気付いて、なんとなく「中ですけど大丈夫ですか」と聞いてしまい、すぐに恥ずかしくなった。買手の女性の控えめな挨拶、長すぎず短すぎない滞在時間、淀みのない会計、そして傷みのある均一本。きっとこの人は自分の本の買い方を知っているはずだ。おれの野暮のせいでせっかくの日曜の買い物を台無しにしてしまったのではないか。自動販売機失格である。最後の客を送り出した後、何とも言えない疲れがどっと湧いてきた。

 

3月25日

 土曜日、休日。ちょっとモラトリアムの後ろめたさがある。古い友人と会って食事をしたりドライブをしたりした。おそらく桜の最高潮の週末は今日明日のみだが、週の後半から雨模様が続いている。公園や通りなど、桜並木をいくつか通り過ぎても人はほとんどいない。ここも咲いてるあそこも咲いてると、気のあるようなないような、貴重な時間だと思いながら。家で3人分のコーヒーを作って飲みながら、南米の音楽を選んでかけてみた。

 

3月4日

 別に斜に構えて格好つけようというつもりはないが、1年くらい前からSNSを見る頻度がかなり落ちた。今やイベントの告知は大体SNSでされるし、早い者勝ちみたいなことも多いから、以前はなるべく情報を取りこぼさずかつ早く得るために、日に何回もチェックしたり、チェックしきれるようフォローする相手を吟味したりしていた。それが、何かを急に決意したわけではなく自然と無くなっていった。今、振り返って簡単な言葉にまとめてしまうと、疲れて飽きたのだと思う。コロナ流行の影響で、一層SNSでの繋がりにのめり込んだ人もいると思うが、おれは逆だった。未知の何かや誰かと対面するための切っ掛けとしての価値が強かったのだと思う。まあ対面にせよ文字情報にせよ、どうせおれは交流は上手くできないし。

 こないだ実家に帰った時、喫茶店に出かけたら、ずっとライブで聴きたかったそれほど有名ではない海外ミュージシャンの来日公演のチラシが目に留まった。公演が催される土地でもないのに、なぜかほんの数種類のうちの1枚がそれで、エっと驚いて飛びついた。SNSを見なくなって、以前なら足繫く通ったようないくつものイベントを、開催されたことすら知らずに過ごしたと思うが、こんな引き合わせもあるのだ。縁というものは不思議なものだなと、改めて思った。そして気負わずに視野を広く持って歩くことを忘れずにいようと。

2月23日

 最近は暖かい日が増えた。日が長くなった実感もあるし、花粉症で鼻をぐずぐずさせている人も見かける。もうすぐ長い冬が終わる。この冬の大きな思い出は、車で奈良まで行ったことである。個人経営のコーヒー屋に用事で行き、機材を引き取って帰って来た。店主と話している小一時間の間、店は通常営業中なので、話もそこそこに接客を観察させてもらった。印象的だったのは、訪れる客が年齢性別を問わず様々だったことだ。いつか自分も自前の商売をすることになったら、こんな風に人に必要とされたいと思った。天気がやたら悪くて、運転はけっこう辛かった。

 昨夜、テレビでアメリカのカルチャーを扱った番組を見た。その中で2016年の映画"Paterson"が紹介されジム・ジャームッシュ監督の言葉が引用されていた。「地球は交通機関だけでなくインターネットやソーシャルメディアによってすごく小さくなっている。~」型通りの観光や新しいシステムやサービスに流されて乗っかってみた時に感じるなんとなくしょうもない気持ち。そこには、新しい体験や手段を得たのに、自分の世界が狭まったような小さな失望がいつも付いてきたように思う。監督の言葉はそういうことを指しているのではないかもしれないが。あの作品を初めて観た時の清々しさが思い出された。

 ロシアとウクライナの今回の戦争は、1年が経った。この問題は自分が生きている間に解決を見る日が来るのだろうか。

2月12日

 暖かい日曜、休日。洗濯をした後、花粉らしき汚れが薄く付いた車を少し洗った。昼前に義妹家族と集まって苺狩りに参加した。おれは初めてだったので、ハウス内が予想以上に暑くて疲れた。久しぶりにTシャツ一枚でうろうろできたのは、なんとなく嬉しかった。

 昼食の後、ついでにコストコに行こうという提案を聞き入れて、これまたおれは初めて行ってみることになった。色々な物が冗談みたいな大きいサイズで売られていて、誰も彼もが大きなカートにそれを積み込んでいる。人間はこれだけの物を必要としているのだな、凄い世界観だ。おれは特に買いたいものも無いし人が多くて歩きづらいし、早く出たいなとずっと思って付いて歩いていた。が、ある一角でミロの1kgバッグが売られているのが目に留まった。幼い頃、翌日の遠足のために買ってあったおれのミロを、残業から帰って来た父が夜中に飲んでしまったという事件があり、以来ミロは好き嫌いを超越した、何となく特別な飲み物なのだった。つい手に取って眺めていると、義妹が気の毒そうに、気になるなら買えば?と言う。おれは迷わず義妹のカートにミロ1kgを入れた。ミロのパッケージには、昔と変わらず、サッカー選手らしき少年の躍動が描かれている。

 おれ一人の金でどうなるものでもないと思いつつ、地震の被災地支援に募金した。楽しく過ごして暖かく眠れることをありがたく思っている。

 

 今日は午前中にCSN&Yのライブ音源を聴いた。惜しいミュージシャンが亡くなったなあと思った。

2月10日

 雪が降った日は、日記に書いとかなきゃなという気持ちになる。雪国に住んでいた頃は思わなかったことだ。朝から曇り空にチラチラと雪が落ちてきて、睫毛に乗ったそのひとつが融けずにしばらく残った。ここで降る雪は可愛げがあるなと思う。昼食に出る頃にはもう弱い雨に変わっていた。

 先月から将棋の王将戦七番勝負が行われている。前人未到の実績を誇り長く将棋界に君臨してきた羽生九段が、その実績を超えてゆく期待を一身に集めながらも未だ底を見せない藤井王将に挑戦している。挑戦者の立場こそ意外とは言え、この対戦は誰もが夢に見ていたはずの世代を超えた頂上決戦だ。今日の第四戦は羽生九段が勝って2勝2敗のタイに持ち込み、既に互いに譲らないすごいシリーズになっている。羽生九段はここで勝てばタイトル通算百期となる。いずれは藤井王将が塗り替えるのではと簡単に想像したくなるが、仮に五冠をずっと維持しても百期に達するのは20年も先のことになるし、三冠維持だと30年以上かかる計算だ。羽生さんの積み上げてきたもののとてつもなさに気が遠くなる。数年前にタイトルをすべて失い、A級リーグからも去った羽生さんが、この王将戦に戻ってきて繰り広げている戦いぶりは、胸が熱くなる。どんな結末が待っているのかまだまだ分からない、最近の楽しみ事のひとつである。

 ニュースでトルコ・シリアで起きた大地震の報を目にした。街は壊滅状態で、おれがそこにいたなら生きていただけでも幸運だと思うだろう。すぐに死んだ方がましだと思うかもしれない。映像では3人の親子が救出されたとキャスターが説明した。分かっている死者数が既に2万人を超えている中で、救出された人は何人くらいなのだろうか、とか、何も無い原っぱで暮らしていたら地震なんて怖くないのだろうか、とかまとまらない思いが巡った。

 


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2月5日

 今年も早くも節分を過ぎた日曜日。早起きしてたまった家事をしていると、暖かい日差しに少しずつ春が近づいているのを感じた。Mは週明けに地元で仕事があるので、昨日から留守にしている。

 お互いの車が先日の雪のせいで泥だらけになった。前の週末は洗車場が混みすぎてて洗車できなかったから、今日こそはと出かけてまずは自分の車をきれいにした。そうして家に帰ってくると、Mの泥だらけのままの車が可哀そうに思えて仕方なく、午後からまた洗車に行った。洗車2本立て。はじめはなんでおれがと思っていたが、だんだん一人で車を2台持っている金持ちになったような気がしてきて、ちょっと可笑しかった。金は無い。

 天気のせいか、今日は長い運転時間中、ラジオではなく音楽をかける気分になった。昨年末に発表されたSZAの"SOS"を聴いていた。ふと泣きそうなくらいの曲があった。寂しくて温かいミュージシャンだなあと思った。