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 いつもの店でなんとなく映画の話になった時のこと、おれが先に観ていた映画について、「あの監督の作品はコミカルすぎて良くない」という意見があった。たしかに、と思った。というか、おれは日本の封切り映画を観ると、いつも序盤でそれが気にかかって仕方ない。総合的には良かったなと思った作品でも、登場人物の人間性というよりはキャラっぽさを強く出してくる芝居に馴染めない。でもそれは時代遅れでひねくれた自分の感性の問題で、他の観客は誰も違和感を感じないくらい当たり前のことなのだろうと、作品側の問題として捉えていなかった。映画もアニメやテレビドラマなどの影響を受けているのかもしれないし、現実社会を描こうにもそれがすでに漫画のような状態にある場合もある。だからそのコミカルさの良し悪しは、作品の内容や制作意図によって難しいけれど、やっぱ気になる人はいるんだなと、少し靄が晴れたような気分になった。映画のコミカル具合については、自分にとって引き続き尾を引きそうな事柄だと思う。

 おれは一瞬でも刺さる場面があると、それだけで映画代払った価値はあったなと思い込んでしまうので、なかなか面と向かって人に感想を言いづらいけれど、おれにとって"すばらしい世界"は、ほとんど漫画の世界の中で仲野さん演じる若者が口を噤むシーンにリアルなすべてがあり、そこを何度も思い出してしまう映画だった。役所さんはたしかに目を見張る技量を発揮しているけど、それに最注目して観るのはもったいない気がする。

 というようなことを、その時は言葉にならなかったけれど思っていた。